JCIの歴史と原点

花ひらく50年代

 プログラムと内部強化によって強調される10年間だった。50年代にアメリカ青年商工会議所の進む方向は明らかに転換した。われわれの将来を形づくる進歩は、われわれがおし進めてゆく精神によって発掘された。
 内部的には、常任副会頭にアメリカ青年商工会議所の財政について強い管理権を与えるという再編成をもって、その年は始まった。そして、それより輝かしい財政絵巻の始まりであった。
 1950年という年は、9千人のJC会員を巻き込んだ朝鮮戦争の年でもあったが、このときは第二次大戦中に経験した会員の減少ということはなかった。この時期の3つの主要な対外計画は「10人の傑出青年表彰式」と「民主主義の声」、そして「ジュニア・ゴルフ大会」であった。
 1951年8月4日、オクラホマ州タルサ市の南部に置かれているアメリカ青年商工会議所の戦争記念本部に次の言葉が奉じられた。
 「この記念碑は、戦時に自由のために軍務についた若者たちに捧げるものであり、平和への探究を続けるため、あらゆる地域、若者たちへの教示として持続するものなり」
 同1951年に、ダグ・サンダース氏が全米ジュニア・ゴルフ選手権で優勝した。彼は、この大会で勝者となった数人の若者たちの一人であり、その後、プロゴルフ界で名声を得るに至った。
 国家計画は翌年も拡大され、10代の青年を対象とした「安全運転技術競技大会(自動車ロデオ)」を始め、また交通安全、社会問題、国際関係、そして宗教活動を強調し、拡大していった。
 アイゼンハワー大統領は、1953年、ミネアポリスの全国会員大会で演説したが、かつて例がなく、彼が最初の大統領であった。彼は次のように強調した。
 「諸君の組織は最もきわだっており、時代を先取りしている組織である。諸君は心に残る体験と、諸君の心にすでに記録されているすばらしい業績に関して、若い責任ある人々である。それゆえに諸君は若さと責任との両方を持ち、明日への自由な将来のすべてに対して最も大きな責任が何であるか知っている」
 50年代のなかばの重点事業は指導力、拡大、会員開発におかれ、その結果急速な成長があった。
 1954年8月、タルサ市にあるJCホワイトハウス(会頭公邸の意、本部建物の裏にある)を設立するという決定がなされた。50年代の最も注目すべき「傑出青年」といわれる3人は、ロバート・F・ケネディ、レバンド・B・リチャード、そしてトーマス・ドーリー博士であった。別の褒賞プログラムとして「傑出した若い農夫」が55年6月に加えられ今日も続けられている。
 50年代後半の著名人の何人かのなかには、57年のジュニア・ゴルフ選手権優勝のジャック・ニクラウスという名の若き友人もいた。
 アメリカは57年JCI世界会議を主催し、同じ年に会員数は20万人以上となり、59年には第一回社会開発セミナーを開いた。
 この10年間は「花ひらく50年代」として知られ、再編成と内部強化と強力な計画を通して、すべての活動の将来への踏み台を設置した。

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